民衆は悪

『民衆は悪である』ということを最近強く思っています。
私は今までノンポリで政治のことには関心がなく、ほとんど理解していないほうだったのですが、
民衆というのは結局のところ、良心や正義で行動する人は少なく、
自分の利益や保身を優先する人がほとんどだということを感じています。
とくに政情不安定なときには、よりいっそうそういう傾向があるように思います。
集団ストーカーをはじめ世の中には不条理がまかり通っているにもかかわらず
ほとんどの人は無関心で、逆に積極的にこれらの悪に加担している人さえ多く存在します。
集団ストーカーの人権侵害の程度がいかに重大であるかは、
自分自身に置き換えればわかりそうであるにも関わらず、
被害者自身に原因があるような捕らえ方をしているような感じすら受けます。
結局のところは、民衆というのは自分に関係のないことには無関心で、
誰もが”自分が一番”という部分があるからではないかと思います。
もちろん自分よりも、自分の家族や友人の方が大事という人があったとしても、
自分のまわりさえよければいいというのは結局は自分のためでしかないのではないでしょうか。

以前新潟の地震で被害が出た際に、あるタレントが地震震源地を聞いて、
『自分の地元でなくてよかった』というような発言をしているのを聞いて、
思わず失笑してしまいましたが、
実際のところ、これは民衆一般の感覚なのではないかと思います。

建設業団体や郵政族、医師会等団体や、その他ロビー活動をしている利益団体にしろ、
結局は国全体のことを考えている団体などほとんどなく、
自分たちの団体の利益を一方的に主張しているだけのように思います。

ところであるビデオをみていたら、民主主義というのは悪であるということが載っていました。
つまり政治がわからない素人のノンポリに選挙権を与えて政治に参加させるということ自体が
支配者によるイメージ操作や偏向報道等の騙しで
いくらでも支配者の思惑通りに民衆を誘導することができるということです。

確かに、この数年で少しは覚醒した私も、
覚醒前は『人権擁護法案』について、
私たち集団ストーカー被害者に有利に変わるのでは等とお門違いの解釈をしていましたし、
マスコミの情報を丸呑みしていた部分があります。

又、『民主主義は"法の独裁"であるべし』という言葉がありますが、
民主主義は多数決だけでは、たんなるファシズムになってしまうのではないかと思います。
というのは民衆は元々悪であり、金と権力のあるものに弱く、
又恐怖を感じるものには従う傾向があるからです。
つまり、民主主義が機能するためには、法治国家であることが必要不可欠なのではないかと思います
そういう意味では法を無視した集団ストーカーというのは、
民主主義を冒涜する凶悪犯罪であると思います。
〔ちなみに私に対する不法行為は傷害罪、器物破損罪、暴行未遂罪、名誉毀損罪、脅迫罪、自殺教唆、窃盗罪、プライバシー侵害、肖像権侵害等多数あります。〕

来年5月から裁判員制度が始まるようですが、これも
法律を知らない民衆を裁判に参加させるというのは、
マスメディアを使ったイメージ操作や偏向報道などで冤罪が捏造されやすく
事実が歪曲されるのではないかと危惧しています。

ところで、私はこの集団ストーカー犯罪は暫くは、失くならないのではないかと思っています。
それは、民衆は本来自分中心で所詮悪であるからです。
しかし、このまま放置しておけば、加害者側の傍若無人な行動がエスカレートすることは必須ですし、
被害者の割合が最低1割ぐらいまで増えて
自分も危ういという危機感を持たない限りは
民衆はマイノリティである被害者を特別視するにとどまり、
若しくは被害者に無関心な態度をとり続け、被害者は増え続けていくのではないかと思います。

サブプライムローンに端を発した金融危機等政情不安な昨今においては
支配者にとっては、"煩いやつ"を見せしめにするという意味でもこのシステムは利用価値があり、
又民衆側も自分のことに手一杯で、自己保身の行動をとることに終始し、
決してマイノリティに有利な良心や正義に従った行動をとることは期待できないのではないか
と思っています。

とにかく、集団ストーカー犯罪類似のシステムは昔から支配者によって利用されていたようですが、
資本主義社会、自由競争の蔓延で格差がひろがり、
全てが金中心になるに従い、単なる金儲けの手段としての組織犯罪が凶悪化しているような気がします。
又、科学技術の発展は被害を自覚させない〔偶然だと思わせる〕加害行為も可能など、
潜在的被害者も多く存在していると思いますし、
先ずは被害を自覚する人が増えて、声をあげ、
民衆に危機感を煽ることが数十年後の解決につながるのではないかと思います。