お金を撒く

12日のニュースで全国で次々と1万円札が入った包みや封筒や発見されていて
これによりその時点までで
1万円札は北海道から沖縄まで計18都道府県、計398枚見つかったそうです。
実際はもしかしたらネコババした人もいるかも知れないし
本当はこの数倍の規模で撒かれているのかもしれません。

たまたま今日図書館でちらっとみたカナダ人著書の本に
『日本人は外国人とちがって
正直だからこういう場合殆どの人は警察に届け出る』
という事が出ていましたが
この本は日本人を肯定した本ではなく逆にこの正直さで殆どの人は
ジャーナリストでさえも情報に対して受取り方が素直で
『事なかれ主義』が多いというようなことが載っていました。
最近問題になっている年金問題にしても
他の国だったら暴動でも起きて当然との指摘も有りましたし
そういえば電磁波の被害にしても、
少なくとも電磁波等の音声をなんらかの形で聴いている人の中でも
騒音の被害を訴えたり、電磁波による身体の影響等に対して
もっと不満や懸念の声があがってもいいはずなのに
ここでも素直な日本人の姿が垣間見えるということでしょうか・・・

ところでお金を撒くということについてですが
3年前に思考に対する対話が始まった頃に父親ついての
音声送信がありました。
その中で父親が昔から私の周りの友人や学校関係者や会社の同僚等に
お金をばら撒いていたという事実です。(かどうかは不明ですが・・)
もちろん父親は単なる給料取りで、元々けちな性格で
私たち家族には常に
『うちの家計のレベルが普通と思ったら大間違い、うちは普通以下だから覚えとけよ・・』
みたいな事をいうタイプだったし
ばら撒いたといっても1回数千円単位で多くても1万円位だと思いますが・・

話せば長くなりすぎてとても書ききれないですが、
集団ストーカーの加害者集団いわく
今回の18年にわたる集団ストーカーの被害はそういうことが発端にあるとの音声送信がありました。

お金というのはもちろん、
いいものを食べ、ブランド物を着て、いい家に住み、いい車に乗りと
いう便利なものでも有りますが、
やっぱり物質そのものよりも他人に対するもの、もしくは精神的満足感を得られる
ということの効用の方がより大きいのではないかと思います。
たとえば友人等に大盤振る舞いをしたり、他人に対して優越感を味わえたり、
他人よりも上位に立つことで有利に事をはこぶとか
時には野心のための道具となり、又、いざというときのリスクヘッジにも利用したりもします。
これら色々な思惑でお金を撒くのを趣味のようにしている人を時たま聞いたり見たりします。

しかしそれは撒いた人の単なる自己満足で
撒かれた人にとってはよっぽどお金に困っている人は別として、
『ありがた迷惑』という事も往々にしてあります。
人は他人に借りのある人間関係を作りたくないし、
たいていの人は何か返さないといけないと考えて逆にわずらわしく感じたりします。
しかしお金を撒く人に限ってお金に対する執着心が異常に強い人が多く
撒かれた人以上の感情を相手に抱いているケースが多いのではないかと最近思います。

私にとっては生きる為の最低限を除いては
お金があることで
一番いいことは物質的なものよりも
何ものからも束縛されない、
精神的な自由が得られる
という事なのですが・・・