宗教感

私は無宗教です。自慢にもなりませんが旧約聖書さえも読んだことはありません。
未だに一生無宗教を通そうと思っていますし、
自分は常にいろいろなことに疑いの目で見る傾向があるので、
のめりこむというか、洗脳されることは先ずないと思っています。

たとえば、本当に唯一の神がいるなら、なぜこれだけの種類の宗教と神が世の中にあふれているのか?
1つで十分のはずではないか。
しかもキリスト教にしても、新約聖書の解釈は宗派によって色々あるようで、
いったいどれが真実かもわからないというのはいかにも不思議な感じがします。
ただ、最近わかったことは
世の中に氾濫している、映画や童話や小説や絵画等芸術は
宗教観がないと楽しみが半減して、十分楽しめないというのだけは
最近感じ始めています。

ところで宗教というのは
昔は、生活保護世帯や、在日、部落などの被差別世帯の加入が
ほとんどだったそうで、つまり、リスクが多いから宗教にすがるという感じでしょうか。
又はリスクが多いから、徒党を組むようなイメージかもしれません。
これらの人たちは、もちろん金銭的に恵まれていない人が多いから
多分お布施とかも、それほど多くなかったのではないかと思います。
ところが、これらの人はいわゆる『がけっぷち』にある人ですし
ある意味、扱いやすい人でもあったかもしれません。
つまり、ちょっとのアメを与えれば、洗脳されやすいということです。

人間の思考回路は自分に都合のいいように思考するように
できているというのを以前なにかで読んだことがあります。
たとえば車で人を轢いても、
最初は罪悪感でいっぱいでも
1年もたたないうちに『あんなところにとび出すのが悪い』『自分の方が被害者だ』
と考えるようになるし、人間はだから生きていかれるということのようです。

とにかく、これらのリスクある人々に、
いわゆる小金もちや、自分の組織に都合の悪い人間の醜聞を流すように仕向け、又攻撃させても
最初は多少の罪悪感があっても、
そのうち『相手に問題がある』と本気で思うようになり、
最後には『世の中なんてそんなもの』と思うようになるということではないでしょうか。

とにかく今私の周りのカルト宗教信者は、
私の宗教のイメージである
『隣人を愛せ』とか『許し』とは無縁で
ひたすら重箱の隅をつついて人を攻撃する
宗教感のかけらもない自分勝手な行動が多い危険集団という感じがします。
さらには、これらの人は宗教集団を
自分のバック(後ろ盾)と考えているようです。
リスクの多い人がこれらの後ろ盾を得て
社会の中で傍若無人に振舞っているというのは非常に危険な現象ではないでしょうか。


まさしく自立できない人は洗脳されやすく、
常に自分を導いてくれる強力な指導者を必要とするというのは
平民レベルではなく特権階級や、指導者にまで派生しているような感じです。

又、これは国レベルでもいえることで
元々資源が乏しく、食料自給率が40%で、
本当の意味での能力のある政治家や、自立できる国民が少ない日本は
益々イルミナティの思う壺かも知れません。